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NHKオンライン > ネットステラ > 特集:「平清盛」紀行 清盛伝説の地~安芸・呉編

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特集

「平清盛」紀行
清盛伝説の地~安芸・呉編

2012/02/10up

平清盛ゆかりの地・安芸。
宮島・嚴島神社の造営と呉・音戸の瀬戸の開削工事は、
安芸守・清盛が手がけたとされる代表的な事業だ。
今回は後者・音戸の瀬戸へ。
水路開削工事にまつわる清盛伝説を求めて、
広島県呉市を訪ねた。

1音戸の瀬戸公園から
瀬戸を望む

 1151年(大河ドラマ「平清盛」の劇中では1151年。1146年の説も。)に安芸守(あきのかみ)となった平清盛は、日宋貿易の要となる瀬戸内海航路開拓の一環として1165年、呉市・倉橋島と本州の間に水路「音戸の瀬戸」を開削したといわれる。ここは、地形が入り組んでいるうえに潮の流れも速い船頭泣かせの難所。開削以前は、倉橋島の沖をう回しなければならなかったのだ。
 JR呉駅から車で25分ほど南下。音戸の瀬戸公園内・高烏(たかがらす)台の展望台に登ると、そこには、扇を持った右手を高くかざす清盛の立像・日招(ひまねき)像が空をあおいでいた。この姿は、音戸の瀬戸開削にまつわる清盛の「日招き伝説」になぞらえたもので、像の位置から200メートルほど山道を下ると、清盛が扇で沈む夕日を呼び戻すために立ったとされる日招岩がある。見晴らしの良い岩の上から眼下を望めば、音戸の瀬戸をまたぐ赤い2つの橋の下を大小さまざまな船が行き来するのが見える。

音戸の瀬戸開削800年を記念して1967年に建立された、高さ2.7メートルの清盛の「日招像」。

地図を確認

日招きの際に清盛が立ったという日招岩。足やつえの跡に見えるくぼみが。

手前の橋が音戸大橋で、奥の橋は建設中の第2音戸大橋(仮称)。音戸大橋のたもとにある清盛塚は、清盛が人柱の代わりに経石を海底に沈め、工事を完成させた功績をたたえて1184年に建立された。1951年に広島県の史跡に指定。


おんど観光文化会館うずしお。1階にはロケで使用された大型和船や衣装、小道具を展示する「平清盛 音戸の瀬戸ドラマ館」が開設。2階には清盛祭の衣装や動く大名行列の人形などを展示。

地図を確認

音戸に伝わる清盛伝説
どちらの伝説も、清盛が宮島・嚴島神社の祭神である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の気を引こうとしたことがきっかけだとする説がある。
日招き伝説
瀬戸開削の難工事も終盤となったある日、潮の流れとの兼ね合いから日没までに作業を完成させねばならなくなった。しかし、日没は間近……。そこで清盛が高烏の岩の上に立ち、扇で太陽を呼び戻すと、なんと沈みかけた日が中天に戻ったという。
にらみ潮伝説
工事完了後、瀬戸に乗り出した清盛の船が渦巻く潮のせいで進まなくなった。「己が切り開いた瀬戸なのに、意のままにならぬとは」と清盛が怒って渦をにらみつけると、潮流が止まり、難なく通れたという。

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「平清盛」紀行
清盛伝説の地~安芸・呉編

1音戸の瀬戸公園から
瀬戸を望む

2瀬戸開削で栄えた
音戸の町

3自然のままの
姿が残るロケ地・安浦

4風情ある町並みを
歩こう

大河ドラマ「平清盛」

[放送日]
毎週(日)
総合 後8:00~8:45
BSプレミアム 後6:00~6:45

[再放送]
毎週(土)
総合 後1:05~1:50

【作】藤本有紀
【音楽】吉松隆
【題字】金澤翔子

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